ブラジル受け入れ7/22〜26

3歳児

ボンジア!超久しぶりになってしまいました。

タイトルの通り、昨年の9月〜11月のメキシコのCちゃん受け入れ以来久しぶりの受け入れをしました!

今回のゲスト団体は7月末にあった少年軟式野球世界大会に出場のため来日した、ブラジルの少年野球チームです。

我が家に来たのはコーチで50代の男性のTさん。ホームステイは初めて。

日系ブラジルの方でTさんのおじいちゃんが日本からブラジルに移住されたとのことでした。

Tさんは16歳から21歳までの5年間愛知県で仕事のため日本に住んでいたこともあり、日本語も話せる方でした。

Tさんが来た初日の夜、初めて会ったときの子供達はというと、Tさんに6歳の長男も、3歳の次男もポルトガル語で自己紹介を始めました。Tさんも子供達に目線を合わせるようにかがんで聞いてくれて「すごいね!」と。

なんだか今までの受け入れ経験からなのか、子供達がゲストに対しての向き合い方のスピードがすごく早かったのが驚きでした。

Tさんは5日間一緒に過ごしました。近くに住むメンバーが、同じ団体から来た別のブラジル人の女性Mさんを受け入れしていたこともあり、

2日目は午前中ファミリー、その後メンバーみんなでとんかつを食べてから牛久大仏へ

3日目は取手の朝活プログラムに午前中参加してから、Mさんたちも一緒に近所のラーメン屋さんでご飯を食べて、車で30分ほどのところにあるブラジルの食品を扱っているスーパーで買い出し、その後メンバー宅にて、Mさんとそのホストはブラジル料理作り、Tさんと子供達は近くの広場で野球を教わり、夜は地域のメンバーみんなで持ち寄り歓迎パーティーをしました。

4日目は朝活プログラム2日目に参加してから、Mさんたちと一緒に近くのショッピングモールへ行き、串揚げを自分で揚げるスタイルのお店でお昼を食べてから、ショッピング。Tさんと子供達はショッピングはあまり興味がなかったので、抹茶のかき氷を外で食べて走り回る子供達を眺めながらTさんとブラジルでの休日の過ごし方とか、Tさん家族のこととか、いろいろ話しました。

5日目は朝Tさんと、子供達を保育園へ連れていきました。長男は、「また会えるから、Tさんまたね!」って感じでサラッとだったのですが、次男が大号泣。靴を脱げず、動けず、ずっと泣いていて、天邪鬼で離れたくないあまりに最後のハグもできず、園の先生に引き剥がされながらのさよならでした。笑

その後Mさんが我が家に来て、Tさん、Mさんを連れて壮行会へ。そこで5日間のホームステイを終えた野球少年チームの子供達とそのホストファミリーと合流し、みんなでSADAをしたり、各ホストファミリーとゲストで感想を発表したり。あるホストファミリーの男の子がずっと号泣していて、すごくいい時間を過ごせたんだなと思いました。

私はというと。その子供の号泣を見てから涙が止まらず、笑

感想もありったけのポルトガル語でTさんの家族とTさん、そしてほとんど一緒に過ごしていたMさんへの感謝を伝えましたが、本当に泣きながらだったので、伝わったのかどうか・・・笑

でもTさんからも優しい感想をいただいて、また会う約束をして、別れました。

Tさんとは2日目の朝まで日本語でほとんど会話をしていました。日本語がわかると思うと馴染みが薄いポルトガル語が本当に出てこなくて。

なのですが、2日目の朝、近くのファミリーに向かう車のなかで、Tさんが仕事で英語は毎日使っていること、スペイン語もよく仕事で使うから話せる、ということを聞いてから、不思議。

そこから、私の口から英語も、スペイン語も、ちょこっとポルトガル語もするする出るようになったんです。

Tさんが多言語話者ということだけでなく、おそらくTさんの話をしっかり聞いてくれるという人柄も大きいと思います。私の口からでる言葉が何語であっても、私が何が言いたいのかを汲み取ってくれるって無意識に感じていたからなのかなと。

そうすると、今まで本当に遠かったポルトガル語が、最近身近に感じ始めていたスペイン語とたくさん似ているし、似てそうな言葉は全然似てなかったり、ポルトガル語に対して距離がグッと縮まった感覚がありました。

Tさんの受け入れは終わってしまい、Tさんたちはブラジルに帰国してしまいましたが、子供達含め、家の中で流している22言語のなかから時折聞こえてくるポルトガル語への聞こえ方がグッと変わった。

そんなことを実感しました!オブリガーダ😆!

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